ミャンマー連邦共和国のPun Hlaing国際病院災害対応チームに委員として就任。この支援をきっかけに、ミャンマーの医療者、ステークホルダーとの知己を得、Barefoot Doctors Groupの活動につながっていく。
サイクロンナルギスは暴風雨と20mにも及ぶ高潮にて、ミャンマー連邦共和国当時の首都ヤンゴンと、エヤワディ一管区を中心に襲い、一昼夜にして約15万人の命を奪い去った大災害である。
オランダ王立熱帯政策研究所(Royal Tropical Institute/Koninklijke Instituut voor de Tropen)で緊急災害人道医療援助/国際保健を学んでいた当グループの代表「林健太郎」は在オランダミャンマー総領事より発給されたVISAにて、単独で被災地に足を踏み入れ、緊急人道医療支援を開始。後に続く復興支援を行っていった。
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一般社団法人日本プライマリ・ケア連合学会の東日本大震災支援プロジェクトPCATの実働を(一社)裸足醫チャンプルーが受託、林がチーフコーディネーターとして約2年間プロジェクトに従事。高齢者、助産婦、小児を3大テーマとして、地域の医療・保健・福祉ニーズの整理を行ない、地域状況に合わせた優先順位を検討しながら、被災した病院、診療所へハード、ソフトにおける復興支援を行なった。主な活動は、遊楽館要介護者支援避難所支援、ダニバスターズ、PCOT(周産期母子支援チーム)、PFA(Psychological First Aid)研修会開催、宮城県気仙沼市立本吉病院復興支援(医療者・保健従事者派遣)などを行った。
日本プライマリ・ケア連合学会誌特別号参照
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/generalist/38/Supplement/_contents/-char/ja
中山書店スーパー総合医 大規模災害時医療 参照
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2012年10月〜
PLHIVのための移動支援
2008年のサイクロンナルギスの被害で多くの移住民がタイ国境モン州・カレン州に移住してきた。同地はマラリア感染地域のため、免疫のない多くの移住民が罹患した。同時に、2008年に起こったリーマンショックは、移住民が増えだした2011年頃より、同地域の地域経済と住民の生活に大きな影響を与えだした。その一つが、PLHIV(People Living with HIV)と呼ばれるHIVに感染した人々のグループだった。PLHIVはコミュニティを形成し、お互いの自助グループとして生活、大きな国際団体/INGOの支援にて無償で薬の無償提供と通院等の生活支援を受けていた。しかし、リーマンショックのため資金/寄附金が減少したことから、国際団体/INGOは薬の無償供与は続けたものの、通院を含めた生活支援を一切行わない方針へと切り替えた。この方針転換によって、差別と身体的制限のため貧しい多くのPLHIVは、治療薬の無償提供をあきらめざるを得ない状況が発生した。この地域に、トヨタ財団の助成金によって日本で購入し、ミャンマーへ輸入した小型トラックを用いて、自助グループと協力し、PLHIVの通院支援のための体制を築くこととなった。また、ミャンマーで増加する交通事故や脳血管障害の患者に対応するため、基本的救急救命法や移送技術、基本的介護技術を学ぶことで、介護・通院タクシー事業の運営の体制が築かれた。
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信濃日日新聞記事: