活動年表


2008年

ミャンマーサイクロン「ナルギス」被災者支援

ミャンマー連邦共和国のPun Hlaing国際病院災害対応チームに委員として就任。この支援をきっかけに、ミャンマーの医療者、ステークホルダーとの知己を得、Barefoot Doctors Groupの活動につながっていく。 サイクロンナルギスは暴風雨と20mにも及ぶ高潮にて、ミャンマー連邦共和国当時の首都ヤンゴンと、エヤワディ一管区を中心に襲い、一昼夜にして約15万人の命を奪い去った大災害である。 オランダ王立熱帯政策研究所(Royal Tropical Institute/Koninklijke Instituut voor de Tropen)で緊急災害人道医療援助/国際保健を学んでいた当グループの代表「林健太郎」は在オランダミャンマー総領事より発給されたVISAにて、単独で被災地に足を踏み入れ、緊急人道医療支援を開始。後に続く復興支援を行っていった。 URL:〇〇〇

2010年12月14日

一般社団法人裸足醫チャンプルー 設立

団体名の由来は、「裸足の:地域に根付き、裸足で駆けつける、醫師(医師)の:専門を問わず対応する、チャンプルー:集団/沖縄方言・インドネシア語・マレー語にて”集まる・混ざる”」。国内外の経済・社会の改革改善含めた継続可能な支援により、その社会の真の問題解決を実行することを目指し設立した。Barefoot Doctors Groupの中核組織。緊急人道援助、Social Enterprise/Business(社会的企業)を行う。 設立のきっかけは2008年のサイクロンナルギスの復興であった。サイクロンナルギスは人の命だけではなく、生き残った人の生活も奪っていった。2010年、被災したエヤワディ管区地域の多くは高潮に飲まれたことから塩害のため、地域の主な産業であった農業に大きなダメージを与えた。小作農として働ていた生き残った人々は、仕事を失い、マラリアが猛威を振るうタイ国境地域にてゴム園労働に従事するために移住、多くの人々がマラリアに感染していった。一方で移住を選択しなかった人々も、被害を受けた/少なくなってしまった農地での耕作・農産物の生産は難しく、貧困に喘ぐこととなった。 URL:〇〇〇移住民マラリア予防活動⇒PLHIV支援 URL:〇〇〇/医療支援 この活動を通じて出会ったカレン族の少女エードォに対する、難病ファロー四徴症治療支援も継続している。
https://www.youtube.com/watch?v=mekrRGSQ-W0&t=542s
エードォちゃんとの交流(撮影/松林要樹:映画監督)
ロゴのイメージは裸足と波、太極図
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2011年3月~2013年3月

東日本大震災被災地支援

一般社団法人日本プライマリ・ケア連合学会の東日本大震災支援プロジェクトPCATの実働を(一社)裸足醫チャンプルーが受託、林がチーフコーディネーターとして約2年間プロジェクトに従事。高齢者、助産婦、小児を3大テーマとして、地域の医療・保健・福祉ニーズの整理を行ない、地域状況に合わせた優先順位を検討しながら、被災した病院、診療所へハード、ソフトにおける復興支援を行なった。主な活動は、遊楽館要介護者支援避難所支援、ダニバスターズ、PCOT(周産期母子支援チーム)、PFA(Psychological First Aid)研修会開催、宮城県気仙沼市立本吉病院復興支援(医療者・保健従事者派遣)などを行った。 日本プライマリ・ケア連合学会誌特別号参照 https://www.jstage.jst.go.jp/browse/generalist/38/Supplement/_contents/-char/ja 中山書店スーパー総合医 大規模災害時医療 参照 PDF

2012年10月〜

PLHIVのための移動支援

2008年のサイクロンナルギスの被害で多くの移住民がタイ国境モン州・カレン州に移住してきた。同地はマラリア感染地域のため、免疫のない多くの移住民が罹患した。同時に、2008年に起こったリーマンショックは、移住民が増えだした2011年頃より、同地域の地域経済と住民の生活に大きな影響を与えだした。その一つが、PLHIV(People Living with HIV)と呼ばれるHIVに感染した人々のグループだった。PLHIVはコミュニティを形成し、お互いの自助グループとして生活、大きな国際団体/INGOの支援にて無償で薬の無償提供と通院等の生活支援を受けていた。しかし、リーマンショックのため資金/寄附金が減少したことから、国際団体/INGOは薬の無償供与は続けたものの、通院を含めた生活支援を一切行わない方針へと切り替えた。この方針転換によって、差別と身体的制限のため貧しい多くのPLHIVは、治療薬の無償提供をあきらめざるを得ない状況が発生した。この地域に、トヨタ財団の助成金によって日本で購入し、ミャンマーへ輸入した小型トラックを用いて、自助グループと協力し、PLHIVの通院支援のための体制を築くこととなった。また、ミャンマーで増加する交通事故や脳血管障害の患者に対応するため、基本的救急救命法や移送技術、基本的介護技術を学ぶことで、介護・通院タクシー事業の運営の体制が築かれた。 URL:〇〇〇 信濃日日新聞記事:  

2012年12月~

八角平和計画(Star Anise Peace Project)

BFDグループ連携事業
紛争により多くの人々がミャンマー・タイ国境地域に逃れた難民・国内避難民が多く生活するミャンマー。紛争や貧しい住民による生計を立てるための不法伐採、焼き畑などにより、森林が荒廃することで、一層貧困が深刻になっている。 ミャンマー国内の平和維持のためにも、また彼らの基本的生活を育む為にも、現地での雇用創出は大きな課題である。その雇用を創出と森林保全のため、インフルエンザ薬タミフルの原料となる八角のなる樹「トウシキミ」の植樹活動を継続し、タミフル生産の産業化を目指す。

2013年4月〜

東北すくすくプロジェクト

宮城県気仙沼市周辺地域で暮らす家族のため、自立した母子支援環境を作るプロジェクト。東日本大震災支援プロジェクトPCATの活動を引き継ぎ、2019年度末まで活動する予定。主な活動は、母乳育児学習会、赤ちゃんの健康相談やリラクゼーションヨガ、ママカフェ等の実施。
東北すくすくのロゴは親子のデザイン
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2013年5月〜2014年3月

ミャンマー・タイ国境地域におけるプライマリヘルスケア振興事業

中国・インドという巨大国家・文化圏の狭間という地政学的な特色から多民族で構成されるミャンマーにおいて、少数民族間の争いが顕著で激しいミャンマー・タイ国境。2008年の民主化以後、各武装組織との停戦合意が進む中、タイ国境に逃れている難民や難民認定されていない国内避難民及び違法タイ移民労働者が、この地に帰還・定住することが予想されているため、プライマリ・ヘルスケアを普及させて、人間の安全保障を約束する必要がある。

2013年10月14日

一般社団法人八角平和研究所 設立

八角平和計画の活動推進のために設立。プロジェクト開始後2018年まで事業を主導した裸足醫チャンプルーから業務を引き継ぎ、2019年以降は日本国内の事業主体となる予定。

2015年7月4日

Barefoot Doctors Myanmar 設立

主に、八角平和計画を現地で運営するために設立したミャンマー登録の国際NGO。国際人道支援団体での活動経験のあるスタッフ、農林系の大臣経験者や専門家など豊かな知見を有する役員らが、国への提言を視野に、地域の特性やニーズに合わせた、育苗、植樹活動を行う。
イメージカラーは緑地のグリーン
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